親鸞聖人の生涯|命日と報恩講の関係
2025/03/03
法然上人とのであい
ほうねんしょうにん
親鸞聖人は、29歳の時、比叡山の仏教と決別し、道を求めて聖徳太子ゆかりの六角堂に籠こもられました。そして、95日目の暁あかつき、聖徳太子の夢告むこくにみちびかれて、法然上人のもとをたずねられます。法然上人は、だれに対しても平等に「ただ念仏もうしなさい」とお説きになっていました。親鸞聖人は、この教えこそ、すべての人に開かれている仏道であるとうなずかれ、法然上人を生涯の師と仰ぎ、念仏者として歩み出されました。
法然上人のもとで、親鸞聖人は約6年間過ごされました。その間に、法然上人から主著『選択本願念仏集せんじゃくほんがんねんぶつしゅう』の書写と真影(法然上人の肖像画)の製作を許されました。また、恵信尼公えしんにこうと出遇い、結婚されたのもこの頃とされています。
親鸞聖人の報恩講
ほうおんこう
報恩講は、親鸞聖人が生涯をかけて伝えてくださった念仏の教えを聴聞し、信心獲得が願われてお勤まりになる真宗門徒にとって最も大事な御仏事です。信心獲得することが親鸞聖人への報恩謝徳となるのです。
思い出してみますと、私が小学生の頃は、講師の先生が私のお預かりしているお寺に宿泊されていましたので、お風呂の掃除をしたり、火鉢を運んだり、廊下の雑巾がけなどをしていました。ご門徒方はお斎の準備や幕を張ったり、仏具のお磨きをしてくださっていました。「ああ、今年も大事なことが始まるんだ」と幼心に感じていたことです。
今、住職のお役を賜り、毎年報恩講に遇わせていただくと、知らず知らずのうちに無数の縁に支えられ、育てられ、共に歩んでくださった方がおられることを思います。そのお一人が親鸞聖人です。